面倒なんですけどね
墓参りで気が付いたことがある。
それは、墓碑の変遷。
神道式の場合、男性だと姓名+大人命、女性だと姓名+刀自命が一般的。
だから、誰を祀っているかは分かりやすい。
キリスト教式は、幾つかパターンがあるようだが、端から見ていて分かりやすいのは聖隷+姓名。
洗礼名と姓名でも見当は付く。
厄介なのは洗礼名だけ、しかもラテン語かなにかで刻まれているもの。
一番多いのは、言うまでもなく仏教式。
ここ30年ほどで、一番変わっている。
古いものは、戒名だけだから、定例の忌年などで寺が関わらない限り、あれ誰だ?と言うことになりかねまい。
少し新しくなると、戒名の他に俗名を並記しているものがある。
これ、戒名と故人とが結び付くので、解りやすい。
そんななか、ここ10年ほどの間に葬られた者に、戒名なしの姓名だけと言うのが、散見される。
ここは財団法人運営の墓地。
だから、宗教宗派が入り交じっている。
ひょっとしたら、無宗教なる宗教なのかもしれないが、姓名だけ。解りやすいが味気無い。
面倒なのは、それよりも墓石の方かもしれない。
建立者の意図は分からないが、「愛」だの「和」、或いは「南無云々」と言う文言や聖典の一節のみを刻んだもの。
誰の墓だか分からないだろう。
もっとも、先日、向こう三軒「鈴木家之墓」で、目指す墓を見失った諸君を見掛けたが、こちらは御愁傷様としか言いようがない。
墓には所番地が振られているが、これを正解に覚えているものは少ないだろうからだ。
面倒と言えば昨年考えていた包茎手術の件だが、やらなくて良かった。
後輩が受けたらしいんだがアフターケアが相当面倒らしいからね。